うた物語交流掲示板


カテゴリ:[ なんでもフリートーク ]


586件の内、新着の記事から10件ずつ表示します。


[596] 放球!

投稿者: 芳勝 投稿日:2018年11月27日(火)18時38分12秒   通報   返信・引用   編集済

竹永尚義様

お便り有難うございます!いつも竹永様のご投稿コメントは拝読いたしております。
また先日「別れの一本杉」に、ご投稿のコメント最後の「嗚呼」の文字に竹永様のお気持ちを込められておられる心情をお察しいたしました。
私は佐賀県伊万里市に生まれ東松浦群の田舎町で育ちました。昭和45年3月に中学を卒業し地元の県立高校に入学し、半年ばかり通学しておりましたが、父は永年の病気の中、家族の暮らしを支えていた大黒柱の長男が、突然大病を患い入院するという家庭の事情が出来、収入が乏しく生活が困難となる中、当時求人募集のため愛知県から地元に来ておられた企業経営者の方々との話合いにより、その会社に勤めながら私を夜間高校に(転入)通学をさせることを条件に、母、長姉、次兄、私を含めた4人がその会社に勤めることとなり、45年10月、入院中の長男だけを残し、家族8人全員で愛知県に移ってきました。その会社の社長さんはご理解があり、家族のために民間の一件家を社宅扱いにして下さり、また夜学に通う私の退社時間を特別に三時半の定時扱いに、そして会社敷地にある寮に私を入れて下さいました。そのご配慮により、私は通学前にお風呂に入ることもできました。そのことは今でも大変有難く思っています。またそのことがその後の私の頑張りに繋がりました。早いものであれからもう48年の月日が経ちました。
竹永様のコメントにあります無差別爆撃兵器と云われた「風船爆弾」は19年11月から20年3月までに、9300発が放球されたといいます。戦争は人を狂わせると言いますが、今思えば愚かなことをしてたのですね。日本軍はもうすでにこの頃には敗戦の気配を感じていたのでしょうか?
また、原爆を落とすはずの小倉上空には八幡攻撃で発生した大量の煙が流れ込んで目標を視認できなかったとの理由で中止となり、次の予定地長崎に落とされと云いますが、いずれにしても竹永様は難を逃れることができました。これは竹永様に生きろという神のお告げだとも思えます。そして現在定年有機農業という素晴らしい第二の人生を送られておられます。これまでのコメントを拝読する中で、私は竹永様のお人柄に学ぶことは多くあります。また佐賀県には忘れられない方がおられるとのこと、若輩者の私で恐縮ですが、こちらこそこれからもよろしくお願いいたします。



[595] Re: ビルマ!

投稿者: 竹永尚義  投稿日:2018年11月27日(火)16時51分26秒   通報   返信・引用

芳勝 様

 あなた様も「一章」様と同じく、「佐賀県」に縁のある方と拝察しております。
私の亡き父は小倉陸軍造兵廠(米国を攻撃する「風船爆弾」も作っていました)に勤めていた様です。
何をやっていたかは、聞く時間が有りませんでしたが。私が20歳の時に亡くなりましたので・・・。
長崎市ではなく、8月6日の広島市に続き小倉市に「原爆」が落とされていたら、私はこの世に生れ得なかったでしょう。高校2年からは、父の転勤で、広島市に住んでいました。同級生は、被爆2世が多いです。
 今は、茨城で定年有機農業をやっています。
 私が、この「二木紘三のうた物語」を知ったのは、就農した頃でした。
今住んでいる茨城県北部、北茨城市から旧軍は、「風船爆弾」を飛ばしていたそうです。今は、放擲地の海岸に「平和記念碑」があります。
 今後共、本サイト上で、よろしくお付き合い、お願いします。



[594] けん様

投稿者: りんご  投稿日:2018年11月27日(火)16時27分55秒   通報   返信・引用

継続的なボランティア活動に頭が下がります。
けん様の草笛「ふるさと」は皆さんの琴線に触れたことでしょう。
なかなか継続的な活動はできることではありません。



[593] Re: yokoさま

投稿者: yoko 投稿日:2018年11月27日(火)14時07分15秒   通報   返信・引用 > No.589[元記事へ]

> お元気でしょうか?

konohaさま
元気です。お気遣いありがとうございます、
毎日皆様の投稿を拝見して楽しんでおります。
最近、二度、足の甲と裏に激痛が走りまた入院か、と不安に襲われたのですが、
幸い二度とも鎮痛剤の貼り薬で一週間くらいで治まりました。
お医者さんに原因を聞いたのですが答えてもらえませんでした。
痛風だったのでしょうか。血圧、尿酸値、腎臓など悪いとこだらけで、
焼酎様と同じく薬漬けです。








[592] ビルマ!

投稿者: 芳勝 投稿日:2018年11月27日(火)10時37分36秒   通報   返信・引用   編集済

けん様

信念を持たれた日々のボランティアでのご活躍、本当にご苦労さまです!頭の下がる思いです。
この度のコメントを拝読しまして、幼少のころの父のことを思い出しました。
ちょうどテレビで終戦記念日のニュース番組を家族で観ていた時、当時小学生だった私は父に一度だけふと
「父ちゃんは終戦の時にゃどこにおったと!」と何気なく尋ねたことがありました。その時父は怖い顔をして
「父ちゃんはビルマにおったとたい!」と、父は言い放ちその後は黙ったままでした。子供心にも何か?を感じた私はそれ以来、母に聞くこともなく戦争の話に触れることはありませんでした。
今思えば、後年に書物で知ることとなったアーロン収容所等を含め、ビルマにおいて過酷な日々を過ごしていたのでは?想像することがあります。しかし父は私が19才の時に亡くなりましたので、その後ゆっくり酒を飲みながらの話もできずに終わりましたので、その確証は全くありません。



[590] 忘れない!

投稿者: けん  投稿日:2018年11月27日(火)08時11分14秒   通報   返信・引用 > No.552[元記事へ]

芳勝様の
 > 「ノルマントン号沈没事故の歌1・2」を読んでいて、私はあえて比較したくなるようなあるコラムで以前知ったことのある和歌山県串本町沖の海上で発生した遭難事故を思い出します!
   の紹介有難うございました。日本人として誇りを覚え日本人で良かったと思いました。

 実は 私も芳勝様の書かれた日本人の美談をすぐ思い出しました。そして 若い頃読んでショックを受けた会田雄次『アーロン収容所』(中公新書)の本を思い出し読み返しました。

 「京都大学教授だった会田唯次氏が 学徒動員でビルマ戦線に投入され、戦後ラングーン(現ヤンゴン)のアーロン収容所に収容された時の実話です。当時の英軍女性兵士が「捕虜になった日本人男性をどうみていたのか」記述されています。ネットには読まれた方の様々な解説が書かれています。
「ノルマントン号沈没事故の歌1・2」の解説に書かれていることと重なる部分を感じました。





[589] yokoさま

投稿者: konoha  投稿日:2018年11月26日(月)21時53分58秒   通報   返信・引用   編集済

お元気でしょうか? 最近yokoさまの投稿がありませんので、どうなさっておられるかなと思っております。



[588] Re: konohaさま

投稿者: konoha  投稿日:2018年11月26日(月)21時46分18秒   通報   返信・引用 > No.586[元記事へ]

一章さま
 こちらこそご無沙汰しておりました。槙の木の剪定大変でしたね。お疲れ様でした。脚立に乗って、刈り込み鋏などを使ってなんて、おまけに河川の中に脚立を立ててなんて・・・ 奥様はさぞハラハラなさったでしょうね。 いくらお元気でも来年は植木屋さんに頼んで下さいね。 あまり寒くならないうちにと思って、私も狭いながらの我が家の庭の手入れをしました。宅食もお疲れさまです。配達される一章さまのお顔を見て、食事を受け取る方もうれしいでしょうね。止められませんね、くれぐれも安全運転なさってください。

今場所は三横綱休場でしたが、栃の心は勝ち越しましたので安心しました。高安は残念でしたが、貴景勝は見事に優勝しました。こればっかりは仕方がないですね。

 



[587] 陸前高田市でりんごもぎ

投稿者: けん  投稿日:2018年11月26日(月)21時40分56秒   通報   返信・引用

りんご 様

 「真っ赤な秋」にまつわるコメント有難うございます。目の不自由なご主人、ご主人を支えていらした奥様のことを今でも覚えています。23日初雪の写真有難うございます。

 りんご様が投稿された11月23日(祝日)08:17頃は東京駅新幹線改札口付近にいました。
岩手県陸前高田市に会社仲間9名と2泊3日の研修に行くため、現地行動の打合せなどしていました。
 当日は晴天で3連休の初日、午前8時前から、改札口、各ホームに人が溢れていました。特にお年寄りや赤ん坊・乳母車を持つ若いお母さんは大変でした。トイレの入口に約30名近く並び、ごった返していました。

 私は スマホを持ってないのでPCで「交流掲示板」を観ます。りんご様からのコメントも帰宅して研修レポートを提出後 確認しました。りんご様はお若い頃から様々なボランティア活動をされご立派です。また視覚障害の方々に音訳奉仕を7年間もされ、沢山の先輩の入る中から選ばれてNHK報道藩の取材を受けられた由、社会貢献に寄与され素晴しいですね。

 新幹線一ノ関駅下車、レンタカーで「ささおか峠」を越えて陸前高田市に向かいました。陸前高田市に入る手前 トンネル出口にはうっすらと積雪がありました。気温は3~4度位でした。私は 3年前から毎年ボランティアで陸前高田市に来ています。陸前高田市は確実に復興が進んでいます。

 夜の懇親会で大阪からのグループと隣り合わせになりました。いつのまにか大阪のおばちゃんたちが仕切ってにぎやかな縁かいになりました。
 私の番にまわってきたので草笛で「故郷」を演奏しました。特に「故郷」については午後5時になると毎日、陸前高田市の全所帯に流される曲なので全員が歌いました。その後大坂のおばちゃん2名が私の元に来られ「草笛を教えて欲しい」とオネダリ・・。盛り上がりました。

 2日目は80歳半ばの老夫婦2名のリンゴ園に行き、りんごもぎ、運搬、仕分け、箱詰めなど手伝いしました。後継者が不在で傾斜地に500本程のりんごの木があります。そのりんごを1個づつもぎながら丁寧に籠に入れ、運ぶのは重労働でした。りんご園の下方半分は 津波が押し寄せ、ガスボンベ・洗濯機・木材・など流れてきたそうです。りんご園の近くは家ごと流され、草地になっていました。

 そこでいただいた「北斗と富士」の写真を添付します。「北斗」の重さは約800グラム、周囲は約40㎝でした。味は美味しかったです。



[586] konohaさま

投稿者: 一章  投稿日:2018年11月26日(月)20時04分44秒   通報   返信・引用

konohaさま
ご無沙汰いたしております。
お元気のご様子で嬉しく思います。
いつもkonohaさまのコメントは楽しく拝読いたしております。

今の季節・・・「熱燗」(日本酒)で乾杯・・・いいですね!
私も以前は、日本酒と親友でしたが、定年退職後は現在の「芋焼酎」と親しくなり現在に至っています。
因みに、今晩の「芋焼酎」のおともは「カツオのタタキ」でした。やはりお味は格別ですね!

今年も早いもので11月も下旬、来月はいよいよ師走に入り、宅配業務の方も慌ただしくなりそうです。

元気は何より・・・安全運転で頑張ります!


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