うた物語交流掲示板


カテゴリ:[ なんでもフリートーク ]


959件の内、新着の記事から10件ずつ表示します。


[1053] Re: 「仲間」ってホントにいいものですね!

投稿者: konoha 投稿日:2019年 6月13日(木)07時40分20秒   通報   返信・引用   編集済

おはようございます。
 今、ラジオ体操から戻って来ました。
yokoさまのお気持ちよく分かります。毎朝、パソコンを開く時、今日はどんな話が待っているのかなと思いながら、うた物語をクリックしています。願わくば女性の方のコメントがもっとあればと思っております。
 りんごさん、お元気ですか?



[1052] Re: 「仲間」ってホントにいいものですね!

投稿者: yoko 投稿日:2019年 6月13日(木)07時14分38秒   通報   返信・引用

おはようございます。

私も今月でうた物語6年目に入ります。少し遅れまして一章様の後輩になるのでしょうか。
皆さまの照らされる灯りをたよりに楽しくここまで歩いてきました。
どうして歌物語に出会ったのか今となってはその理由は分かりません。
5年前夜行列車から「ああ上野駅」駅に偶然降り立ちました。
昔から心配性で皆様のコメントが途切れるといつも心配しています。
今後ともよろしくお願いいたします。





[1051] 日本は狭い!

投稿者: ハコベの花 投稿日:2019年 6月10日(月)21時43分11秒   通報   返信・引用

konoha様の偶然の出会い、私もこの二木プログでありました。あこがれさんの奥様が私の仲良しの同級生のお隣だったことです。しかも友人は奥様の家に日本舞踊を習いに行って、日大の日本舞踊科に進み今でも職業としている事です。本当に驚きました。人間はどこかで繋がっているのですね。日本は狭いと思ってしまいました。
辿っていくとあちこちに親戚や知り合いがありそうですね。



[1050] <5番街のマリー>から偶然の出会い

投稿者: konoha 投稿日:2019年 6月10日(月)11時33分34秒   通報   返信・引用   編集済

 人生、いかに偶然の出会いがあるのかと本当にびっくりした事が2回ありました。一つは20代前半です。知床半島のウトロ港から半島の先まで遊覧する船上でのこと、中2か3の時の同級生が隣にいたのです。8、9年ぶりです。同じクラスでもそんなに話したことはなかったのですが、中学卒業以来一度もあったことがなく、でもお互い直ぐに分かりました。場所が場所だけに二人して驚き、笑ってしまいました。彼女とはそれっきりでしたが、知床旅行のいい思い出になりました。

 もう一つは娘が中学一年生になった時の初めての父母会の帰りに、近くのスーパーで買い物し終わり、レジを済ませ何気無く振り返ったら、彼がいました。あまりの出会いに私は目を見開き指差して、〇〇君!って言ってしまいました。彼は可笑しそうに笑って頷きました。二言三言は話したと思いますが覚えていません。

 私は結婚してから三年ほど実家を離れていましたが、父が亡くなり実家に戻っていました。ですから娘も私とは同窓です。まさか彼が地元にいるとは思ってもいなかったし、私の記憶の中ではすっかり居ませんでした。(彼の実家と我が家とは15分ほど歩く距離があり、スーパーは中学校の近くでした。)

 彼との出会いは中学1年の時、同級になりました。彼は噂によると小学生の時、実験をして大怪我をして、長く休んでいるとのことで、どんな子か興味を持ちました。学校にくるようになると、私と同席になりました。口数の少ない子でした。 ある日の昼休みの時間に私は眠かったので机にうつ伏せになっていると、誰かが変な歌を歌って椅子をガタッと音をたてたので、私はバカみたいと顔も見ずに言ってしまったら彼でした。彼はフンと鼻で笑ってそれっきりでしたが、数学で私が答えられないでいると、小声でバカみたいと呟きました。

 一学期中か夏休み中か忘れましたが、彼から手紙をもらいました。母は彼の字を見て子どもの字ではないと言って、授業参観日の時、彼を観察するように見ていていました。(思えば12歳か13歳の男の子をです。)

 2年3年とクラスは別になり、彼のことは時々女の子から名前を耳にするくらいで忘れて居ました。卒業すると、彼から作曲した楽譜が送られてきました。私はハ長調の音符しか読めませんのでどんな曲か分かりません。また彼が作曲した別の曲は何かでとりあげられ、学校でも音楽の時間に生徒たちが歌いました。そしてそれもいつの間にか忘れてしまいました。

 大人になって恋に悩んでいる時、彼の夢を不意に見ました。いまでも覚えていますが、彼が地面にのたうち回って、<ああ、絶望だ!絶望だ!>と叫んでいるだけの夢です。なぜかその夢が気になってしまい、彼にこんな夢を見たんだけどという手紙を突然出しました。年賀状のやりとりさえ一切なかったのですが。すると彼から分厚い手紙が届きました。達筆の上、乱筆で読めたものではありません。なんて書いてあるのか分かりませんでしたので、返事も出さずそれっきりになってしまいました。

 それ以来なのです。本当に偶然の出会いでした。彼からみると私が豆鉄砲を食らったように目をまん丸にして、声にならない声を出したので、彼はその様子を見ておかしくて微笑んだのでしょう。(二十二三年ぶりの再会でした)
そしてそれもそれっきりでした。いま<5番街のマリー>で急に蘇りました。




[1049] お弁当

投稿者: yoko 投稿日:2019年 6月 8日(土)21時35分3秒   通報   返信・引用 > No.1048[元記事へ]

「ふるさとの燈台」への皆様の投稿を拝読していて感動しました。
小学校から高校まで、お弁当って思い出多いですね。
お弁当を持ってこれなかった話にもじんときました。そういう時代でしたね。
クラスで思い当たることもありました。

最近私は思いついて毎日お弁当をつくって出かけています。

街の通り往復8KMをゆっくりと散歩し、途中でお弁当を広げます。
こんな生活の変化で喫茶店に入ることも、コンビニで菓子類を購入することも、
外食することもなくなりました。経済的にはずいぶんと節約になっています。

どうしてそんな心境に?と言うことですが、色々と体の変調(衰え)を感じてきたからです。
毎日飲んでいる錠剤も日に6錠だったのを”自己判断で”3錠に減らしました。
結果がどうなるか気になるところですがこの数か月間問題ありません。
このまま続けてみようと思っています。

外で食べるお弁当は美味しいですね。おがずは4品自分で工夫しています。
その内の一品はうめぼしです。



[1048] 烏帽子灯台!

投稿者: 芳勝 投稿日:2019年 6月 7日(金)18時34分23秒   通報   返信・引用

亜浪沙(山口功)様ご投稿「ふるさとの燈台」のコメントを拝読しまして!

旧東松浦群湊村(現唐津市)でお生まれになられたとの事。コメントを拝読しながら、自分の幼い頃を懐かしく思い出しました。
私は生まれたのは伊万里市ですが、その後は、家庭の事情により、幾度もの引っ越しを繰り返し、最終的に私の確かな記憶は、東松浦群(現唐津市)の相知・厳木・というところです。ただ私が4才のころだと思いますが、微かに記憶にあるのは、一度父と知人に連れられて呼子町に行ったのですが、その時父と知人と一緒に船に乗って海釣りについて行ったことがあります。その時、海の向こうに見えた小さな島の上に灯台があったことを記憶しています。それで、亜浪沙様のコメントに誘われて、懐かしさも加わり、夢中で玄海灘の灯台を検索したところ、写真に写る小さな小島に立つ灯台、そして海の風景を見る限りでは、記憶をたどると多分その時に私が見ていたのが「烏帽子灯台」だと今は確信しています。
現在私は、昭和45年に故郷の佐賀県を離れ、現在愛知県で暮らしています。おかげ様でこちらでも何不自由なく元気に暮らしておりますが、やはり生まれ故郷を思うとやたら恋しくなります。そして不思議に思うのは幼いころの記憶でも、意外に鮮明に蘇ってくることがあるのですね。

亜浪沙様のご健勝を心よりお祈りしています。季節柄お身体にはくれぐれもご自愛ください。



[1047] 「かりそめの恋」

投稿者: yasushi 投稿日:2019年 6月 2日(日)14時40分13秒   通報   返信・引用

昭和20年代前半、私は、歌謡曲好きな少年でした。この頃は、まさに、昭和歌謡曲黄金時代だったと思います。

こんななかで、特に好きだった、女性の心情を謳った歌は、下記の2曲でした。
  ①「港が見える丘」(東辰三 作詞・作曲、平野愛子 唄 S22)
    ♪あなたと二人で 来た丘は 港が見える丘…♪
  ②「かりそめの恋」(高橋掬太郎 作詞、飯田三郎 作曲 三条町子 唄 S24)
    ♪夜の銀座は 七色ネオン 誰にあげよか くちびるを…♪

「港が見える丘」に対する思いにつきましては、本編の「港が見える丘」でコメント申し上げているとおりです。
「かりそめの恋」は、歌詞、メロディ(長調)とも素晴らしく、近年、高校の同期会でのカラオケで、歌ったりしたものです。
歌詞は、勿論、全体がよいのですが、特に、各番の最終行の部分が心に響き、余韻が残ります。個々の言葉は平凡でも、詩情溢れるフレーズに仕上がっていて、”さすが詩人”と思うのです。
  歌詞1番 ♪ふと触れ合うた 指かなし♪
  歌詞2番 ♪まぼろしならぬ 君欲しや♪
  歌詞3番 ♪夜風よ吹くな やわ肌に♪
なお、歌詞1番のところは、私は、自己流に、♪ふと触れ合った 指かなし♪と歌っています。私のこだわりというところでしょうか。



[1046] Re: ”我が家の長男”について

投稿者: yoko 投稿日:2019年 6月 2日(日)11時03分55秒   通報   返信・引用

> ”我が家の長男”、”我が家の長兄”についての投稿([1033]、[1034]など)を拝読し、言葉の使い方について考えさせられました。

yasushi様のご意見に同感です。

12年前63才で芳勝様のお兄様がお亡くなりになったこと、また芳勝様が小学生一年生の時のことなどの背景からお兄様が”我が家の長男”であることは推察でき、芳勝様の記述は誤りではないと思います。

私の父は母と別居し峠を越えた隣の村に住んでいました。時々父の家に遊びに行っていたのですが、その時、隣村でよくおばさんたちが私をちらちら見ながらひそひそと話をしているのに気づきました。
あるときはその一人の女の人が近づいて来て「あんた、〇〇屋さんの子?」と問うこともありました。親戚が集まったときなど、いつになく長男であることを意識させられました。
「なんだ、オマエが長男か、弟(1歳下)が長男だと間違えていたよ」と兄としてのプライドを傷つけられたこともよくありました。父が死んで数十年経って田舎へ帰った時、私にを気づいたお婆さんが「お帰りになりましたね。お父さんによく似てらっしゃる。」と懐かしそうに声をかけられたこともありました。

今では田舎で父を知っている人も、私が長男であるということも知る人も少なく、高齢で消え去られつつあります。寂しくもあり、昔が懐かしいですね。出来の悪いひ弱な”長男”である、と陰口を叩かれるのが嫌で田舎を逃げて都会に住む私ですが、父には長男としての期待にそぐえず申し訳なかったなぁといつも思います。



[1045] 「仲間」ってホントにいいものですね!

投稿者: 一章  投稿日:2019年 6月 2日(日)10時47分1秒   通報   返信・引用   編集済

お早うございます。
二木先生 いつもこのブログを見守りいただきありがとうございます。
いい雰囲気で過ごしたいと思います。
今後ともよろしくお願いいたします。

さて、昨夜は久し振りで現役時代の山仲間と居酒屋で交流を深めました。
当初は十人のメンバーでしたが、現在では七名になり寂しい思いもしますが、いざ飲みだすと・・・昔の諸々の山でのエピソードが飛び出し懐かしさが蘇りました。

仲間(ほぼ私と同年代)の現在の近況では、数人が時折山へ・・・日常では家庭菜園・中国語の学習(マージャン)・囲碁に熱中・専業農業に従事・つれあいの介護など様々のようでした。
そして、私は連日宅配業務で悪戦苦闘中・・・

でもみんなと雑談をしながらつくづく思ったのは、ひとつの目的で寄り添った「仲間」の素晴らしさ!
何物にも勝る心の触れ合いを深く感じる次第です。

今現在、二木先生の「うた物語」と出会い六年目でしょうか?
素敵な「蛇足」そして見事な「アンサンブル」の演奏でいつも心が晴れやかになっています。
改めてありがとうございます。

と同時に同好の仲間の皆様の心温まるコメント・お便りにも励まされ元気をいただいているところです。

今後とも、ひとつのご縁で出会った「仲間」を大事に心にとどめたいと思っています。
今後とも宜しくお願いいたします。



[1044] エンドマーク(*^▽^*)

投稿者: 管理人 投稿日:2019年 6月 1日(土)23時10分47秒   通報   返信・引用

下記の件は過熱気味のようです。楽しいテーマに切り替えませんか(*^▽^*)。


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