うた物語交流掲示板


カテゴリ:[ なんでもフリートーク ]


2018件の内、新着の記事から10件ずつ表示します。


[2185] 「純愛の砂」

投稿者: yasushi 投稿日:2021年 6月15日(火)15時04分33秒   通報   返信・引用

”うた物語”本編の「生命(いのち)の限り」についての、ナカガワヒデオ様の投稿(’21-6-15)を拝読し、ずっと忘れていた歌が一つ甦りました。

大津美子さんといえば、抜群の歌唱力に定評があり、なかでも、私が最もそう感じるのは「生命(いのち)の限り」です。(前に、コメント申し上げたとおり。)
この歌の他、日頃好んで聴いております大津美子さんの歌は、
  「ここに幸あり」(高橋掬太郎 作詞、飯田三郎作曲 S31)
  「東京は恋人」(横井弘 作詞、飯田三郎 作曲 S32)
  「東京ドライブ」(横井弘 作詞、佐伯としを 作曲 S33)
です。

ナカガワヒデオ様が投稿のなかで挙げられました、幾つかの大津美子さんの歌のうち、「純愛の砂」に目が留まりましたが、どんな歌だったか思い出せません。
そのうち、”砂”がでてくる歌なら、ひょっとして、♪さらさらと さらさらと 指より逃げる 砂に似て…♪だろうか、と思いつき、早速、YouTubeで調べましたら、そのとおりでした。
昔、若い頃(大学受験浪人中)よく口遊んでいたので、歌詞とメロディ(一部分)は憶えていましたが、歌の題名が「純愛の砂」であったことは、完全に失念していました。
   「純愛の砂」(矢野亮 作詞、飯田三郎 作曲 S32)
   <歌詞1番>
      愛のなぎさを さすらいの
      旅は悲しい 我が運命(さだめ)
      さらさらと さらさらと
      指より逃げる 砂に似て
      はかなき故に なおさらに

私にとって、ずっと忘れていた、大津美子さんの歌が一つ甦りました。大津美子さんの歌唱力溢れる歌声は、長調の美しメロディと相俟って、とても懐かしく、心地よく感じられます。
偏に、ナカガワヒデオ様のお陰と、心から感謝申し上げる次第です。
  



[2184] Re: 無題

投稿者: yoko 投稿日:2021年 6月14日(月)22時39分42秒   通報   返信・引用

>  あしひきの 山鳥のをの しだりをの
>
>     ながながしふみは ころなヴぁいらす

詠人不知様投稿の”ころなヴぁいらす”、私はしばらく理解できませんでした。
何?と考え、NETで調べていてやっとわかりました。次の説明がありました。

「感染症の病原体を指すウイルスがなぜ、以前「ビールス」(ヴィ―ルスとも)と呼ばれているのか? 英語でVIRUSと表記するが、ドイツ語で発音するとビールス、ラテン語だとウイルス。英語ではバイラスの読み。」

勉強になりました。



[2183] 感謝二題

投稿者: josame  投稿日:2021年 6月14日(月)15時03分1秒   通報   返信・引用   編集済

RE 掲示板 [2174] [2175] [2180] [2181] & [2182]

春すぎて 夏きたるらし 白たへの
画面に映ゆる 文ありがたし

歳をへし 筋(いと)の乱れに苦しめど
溢るる思ひに 会へて嬉しや

(以上)

http://



[2181] 「背くらべ」補足(2)

投稿者: sitaru 投稿日:2021年 6月13日(日)19時42分31秒   通報   返信・引用

 長崎のsitaruです。「背くらべ」の歌詞については、 管理人様始め、多くの方からコメントが寄らせれており、いずれも興味深く拝読しました。前にも書いたことがあるのですが、私は元来メロディー、リズム重視派で、歌詞の内容は余り気にしない性格だと思っています。従って、歌詞がどんなに素晴らしくても、メロディーラインが印象的でなければ好きになれませんでした。この「背くらべ」の歌詞も、はじめは特に何も気にしていませんでしたが、大人になって改めて眺めてみると、確かに諸家のご指摘のような問題があることに気づきました。それでも「紐のたけ」の問題には気づかず、「おととし」とあるのも、単に音数を合わせるためだけと思っていました。同じように、「きのうくらべりゃ」の部分も、本来ならば「今日くらべりゃ」の方が、現実味が沸くのではないかと思い、そうなっていないのは、やはり音数合わせのためだと考えました。意地悪な見方をすれば、作詞者は尤もらしい言い訳をあとから付け加えたのかも知れないとも思えました。

 私にとっては、言葉の問題として、どなたかのコメントにもりました「背くらべ」の「背(セーまたはセイ)」の正体に興味があります。一般的には、「背(セ)」の発音が長く伸びたものと考えられているようですが、私の大学時代の指導教官は、雑談の中で、「背比べや背高のっぽのセイは、漢字音「勢」のセイでしょう」と事も無げに仰いました。先生は、日本語の音韻史、特に漢字音の歴史研究の権威のお一人でいらしたので、私は「へえ、そうなんだ」と感心して納得しました。ただ、雑談の中でしたので、先生は「勢」の音であるという根拠は示されないままに終わりました。私は漢字音の知識に乏しいので、それ以上考えることをせず、今日に至っています。

 もう一つ、これもどなたかのコメントにありましたが、歌唱される場合に、セイとセーの二通りの発音があることについてです。これも実は日本語の発音の歴史が密接に関係しています。子を除いた部分がエイともエーとも発音が可能な部分がある語には、「綺麗」「先生」「青春」などたくさんありますが、総じて言えば、童謡・唱歌の古い歌唱ではエーと延ばすことが多く、比較的新しい流行歌ではエイと二重の母音に発音することが多いようです。その理由については、紙幅が足りませんので、また別の歌の所で補足したいと思います。

 最後に、「背くらべ」の歌詞で、個人的な不満を述べるとすれば、二番の最後に「一はやっぱり富士の山」とあるところです。
 ここでこの富士の山をわざわざ持ち出す必要はなく、低い山同士の背比べで十分ではないかと思いました。作詞者は静岡市出身のようですので、富士山を日常的に見ることが出来、それを他の低い山と背比べさせて称揚するのは当然なのかも知れませんが、子供の頃、富士山を知ってはいても、一度も実際に見たことのないない私を含めた日本の大部分の子供たちにとっては、今一つピンと来ないのではないかと思います。「童謡・唱歌の歌詞は、すべからく汎日本的であるべきだ」と主張するつもりはありませんが、この歌に関しては、そのような感想を持ちました。



[2180] 「背くらべ」補足(1)

投稿者: sitaru 投稿日:2021年 6月13日(日)16時41分21秒   通報   返信・引用

 長崎のsitaruです。「琵琶湖周航の歌」の所で、皆様にご迷惑をお掛けしたばかりなのに、何も無かったかのようにコメントをさせていただいております。
 実は、前回最後にコメントを投稿したのが、昨年の12月で、その後、使っていたパソコンが壊れて作動しなくなりました。使い始めてすでに8年近くが経っていたので、寿命が尽きたのかも知れません。それは仕方がないと思ったのですが、困ったのは、様々な文書データ、影像データ・音楽データのバック・アップを取らないままに、パソコン本体に残していたことです。もちろんそれの一部は、外付けのHDDやUSBメモリーに移していたのですが、パソコン本体の容量にまだ若干の余裕があったので、そのうちに移そうと思っていた矢先でした。年金生活で、医療費も嵩んでいましたので、新しく購入する経済的余裕は全くありませんでした。私は慌ててあちこちの修理してくれそうな所に連絡を取りましたが、なかなか見つからず、諦めかけていた時に、大型家電量販店の一つにパソコン修理、データ復元のエキスパートが居て、パソコンを持ち込んで呉れれば、何とかなるかも知れないと言われ、神にもすがるような気持ちで、重たいパソコンテレビをタクシーに乗せ、店まで運びました。自分の車があれば簡単に運べたのですが、目が悪くなって、運転に耐えられなくなり、車は廃車にして、十月に免許更新の時だったので、思い切って免許を返納していました。つくづく車は便利だったんだと思いました。それが、年末の28日たったと思います。
 半月後、パソコンが戻って来ました。幸い、データの大部分が復元できていました。テレビから録画した影像など、一部は復元できませんでしたが、贅沢は言えないと思いました。修理代も結構かかって、小さなパソコンを新しく買った方が安く済んだのかも知れませんが、操作に慣れたものを使い続ける方を選択しました。
 ところが、その後,今度は体調が悪くなり、パソコンの前に一時間も座っていられなくなりました。糖尿病から来る腎不全の状態が、一層深刻になったようです。目の状態も相変わらず悪く、それから数か月は、パソコンに向かっても、拡大鏡を片手に、メールを確認する程度で、すぐベッドに横になるような状態でした。ですから、このブログにも何もコメントが書き込めない状態が続きました。時節に応じた歌(主に童謡・唱歌)を対象に、思い出などを書き込みたかったのですが。今回、「背くらべ」の書き込みが、時節から一か月遅れになってしまったのには、そういう事情もありました。また、「琵琶湖周航の歌」で、皆様にご迷惑をお掛けした長いコメントは、半年の鬱積していたものが爆発したものかも知れません。
 ただ、本当に最近のことですが、新しい発見がありました。通常の活字はもう読めないので、単行本や文庫本で論文や文学作品を読むことを諦めていたのですが、ネット動画に、文学作品の朗読動画がたくさんアップされていることを初めて知つたのです。その量からして、相当以前からこういう動画があったのだと思いました。そこで試しに近代文学の短編をいくつか聴いてみました。すると、活字になったものを読むより、すらすらと頭に入って来るのです。私は、昔好きだった志賀直哉の短編の他、森鴎外や芥川龍之介、梶井基次郎などの短編を次々に聴いて行きました。太宰治の「斜陽」を初めて最後まで通して聴き、川端康成の「伊豆の踊子」も本当に久しぶりに全編聞きました。この勢いで、夏目漱石の「三四郎」を聞き始めたのですが、全編を聴き通すのに、何と11時間もかかることを知り、何とか4時間ほど聞いて飽いてしまい、聞くのを放棄してしまいました。その他、宮沢賢治や新美南吉の童話もだいぶ聞きました。すっかり記憶が遠のいていたグリム童話やアンデルセンの童話も聞き直しました。
 長くなり過ぎないようにと自戒したのに、また長くなりそうなので、ここで一旦区切り、童謡「背くらべ」の歌詞については、次回に延ばしたいと思います。妄言多謝。 (続く)




[2179] sitaruさま

投稿者: konoha 投稿日:2021年 6月13日(日)09時39分57秒   通報   返信・引用   編集済

 早速のお返事ありがとうございました。うた物語への投稿文の量を考えられてのことと推察しておりました。そのことを理解した上でのお願い事でした。ありがとうございます。私も長文になりそうな時はメモ書きをしてから貼り付けしています。短文の場合は直接打って送信していますので、誤字、追加文などの訂正はいつも管理人さんのお世話になっています。脱字などはまあいいかとそのままです。こんないい加減さです。
 sitaruさまのコメントを楽しみにしております。またいろいろと教えてくださいね。



[2178] konoha様へ

投稿者: sitaru 投稿日:2021年 6月13日(日)02時46分34秒   通報   返信・引用

  konoha様
 長崎のsitaruです。有難いおことばに感謝いたします。わたくしの投稿は、もともと長い上に、行間に余白を入れずに、ダラダラと続けるので、目移りなども起こりやすく、本当に見にくいものだったと思います。それを承知で直そうとしなかったのには二つの理由があります。一つは、もともと長いのだから、行間に余白を入れると、このコメント欄のスペースをますます狭めることになり、管理人様始め投稿者の方々にご迷惑になるだろうと考えたこと、もう一つは、コメント欄に直接書き入れず、ワード文書として、文字の大きさを20ポイントの大きなゴシック文字を用いて作成し、それをコピーしてコメント欄にペーストするという方法を採って、ワード文書の段階で誤字・脱字等をできるだけ減らそうとしたためです。この段階では、かなり見易かったので、うっかりそのままペーストしてしまいました。
 これからは、コメント欄の記述はできるだけその歌にまつわる体験話に限り、改行、余白の設定に努め、ことばについて補足したい時は、管理人様のお言葉に従って、掲示板の方で述べさせていただきたいと思います。今後ともどうぞ宜しくお願い致します。



[2177] sitaruさま

投稿者: konoha 投稿日:2021年 6月12日(土)21時56分6秒   通報   返信・引用   編集済

 コメントを興味深く拝読させていただいています。誠に申し訳ございませんが、この機に乗じてお願いがございます。今回、掲示板の移動になりましたコメントの字が大きくて読みやすかったです。そこでうた物語でのコメントですが、文章の塊の一息に一行空きを入れてくださるととても助かります。sitaruさまのお話がいつも面白いので、一生懸命拝読しているのですが、時々上下が分からなくなり、まさに指差し確認してしまいます。誠に勝手な私事のお願いなのです。お聞きくださるととても助かります。これからも面白いお話をお持ちしております。^▽^



[2176] 御礼

投稿者: sitaru 投稿日:2021年 6月12日(土)18時32分58秒   通報   返信・引用

 管理人様
長崎のsitaruです。この度は、有難いご配慮をいただき、痛み入ります。お言葉に甘えて、今後も皆さまのお邪魔にならない程度の頻度で投稿させていただきます。簡潔を旨とし、できるだけ歌から離れないよう心掛けます。取り急ぎ、御礼まで。



[2175] 竹生島等の音韻考

投稿者: sitaru 投稿日:2021年 6月12日(土)17時13分21秒   通報   返信・引用   編集済

 長崎のsitaruです。
 『琵琶湖周航の歌』の歌詞の中で、一つだけ言葉の問題として触れるとすれば、四番の歌詞の中にある「竹生島」という島名の読みが挙げられます。最初にヒットした加藤登紀子も、そのほかのカヴァー歌手も、ほとんどすべてが「チクブジマ」と歌っているようですが、本来は「チクブシマ」と「シマ」が濁らない発音のようです。ネット動画で調べた限りでは、京都大学男声合唱団が「チクブシマ」と歌っている他は、一つも見つけることができませんでした。京都大学は旧制第三高等学校の後身ですから、そこに本来の歌い方が伝わっているとも考えられます。この島は、信仰の対象として古くから有名だったようで、いろいろな文献に記されているようですが、漢字表記は言うまでもなく、仮名で表記されていても、古くは濁点表記が未発達で、「ちくふしま」と書いてあっても「チクブジマ」と読んだ可能性は否定できません。参考になるのは、古い発音を伝承している芸能で、能に「竹生島」があり、狂言にも「竹生島詣(まいり)」という曲があって、いずれも「チクブシマ」と濁らない発音で伝わっています。ネット百科事典でも「チクブシマ」となっているので、地元では今も普通にそう発音されているのかも知れません。
 この「チクブシマ」か「チクブジマ」かという問題は、ことばの研究では「連濁」の問題として重要視されています。「連濁」とは、二つの単語が複合する際に、後ろの語の頭の部分が、本来濁らない音(清音)であったものが濁音に変化することを言います。この例は無数にあると言ってよく、これまでの研究で、大体のことは分かっています。その最たるものが、連濁しない場合の法則的な現象で、「ライマンの法則」と呼ばれるものです。ライマンとは人名で、19世紀のアメリカの東洋学者ライマンが発見したものとして有名です。それは「後ろの語の一部に、もともと濁音が含まれている場合は、ほとんど連濁が起こらず、特に後ろの語が二音節の場合は、少なくとも共通語では絶対に連濁を起こさない」というものです。例えば、「~風」「~首」「~旅」「~束」などの「~」の部分にどんな言葉が来ても連濁は起こりません。ただ、方言には例外があるようで、例えば福岡県の筑豊地方では「大筆」「小筆」を「オオブデ」「コブデ」と言う人がいると聞いたことがあります。後ろの語が三音節以上の場合は、「縄梯子(ナワバシゴ)のような例外がわずかに見られます。
 「~島」の場合の連濁・非連濁の様相は非常に面白く、例えば「島」の付く地名で考えると、屋久島(鹿児島県)、湯島(熊本県)、女島(めしま、長崎県)、見島(山口県)、小豆島(香川県)、淡路島(兵庫県)、伊豆大島(東京都)などは非連濁で、宮古島・石垣島(沖縄県)、桜島(鹿児島県)、福江島・平戸島(長崎県)、巌流島(山口県)、宮島(広島県)、輪島(石川県)、八丈島・三宅島(東京都)などは連濁します。どういう場合に連濁が起こりやすく、どういう場合に連濁が起こりにくいかというと、ある程度の傾向性は見られますが、はっきりとした法則性を見出すことはできません。実は、この「~島」の場合は、万葉の時代から連濁が起こりにくかったことが知られています。それが、時代が下るとともに、次第に連濁する語が増えて来たようです。私の地元の長崎にある有名な史跡である「出島」も、江戸時代は「デシマ」と非連濁に発音していたらしいという研究もあります。もう一つ、「~島」の発音の特徴で、「中島」「田島」「小島」などの地名や人名に用いられる語には、連濁・非連濁双方の発音が許されていることです。このような語は、他にはあまり見られません。
 一方、連濁を非常に起こしにくい語もいくつか見られます。「~浜」「~姫」「~紐」などの場合は、ほとんど連濁を起こしません。その理由は、未だ解明されていません。
 この「連濁」の問題は、ネット上でも盛んに論じられていますので、興味のある方は覗いて見て下さい。また、この現象は、事実としての用例・サンプルを集めることは非常に容易で、中学生でも出来ます。例えば、「~川(河)」の場合は、日本地図・世界地図を開けば、簡単に多数の用例を拾うことができます。それを整理して、どういう傾向があるかを考えることは、頭脳の知的訓練にも役立つでしょう。
<文中敬称略>


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