うた物語交流掲示板


カテゴリ:[ なんでもフリートーク ]


新着順:93/1990


[2174] 琵琶湖と中野重治の思い出

投稿者: 坂口至 投稿日:2021年 6月12日(土)17時01分25秒   通報   返信・引用   編集済

 琵琶湖は、東京への行き帰りの際などに何度か見ましたが、いつも建物の陰から、一部が見えるだけでした。
 初めて、その広大な湖面を見たのは30歳頃で、京都で学会があった折に、せっかくだからと福井県丸岡町(現在坂井市)を訪ねた時でした。その目的は、学生時代から好きだったプロレタリア文学者中野重治の故郷に行ってみることでした。中野重治に興味を持ったのは、大学三年の時で、当時流行的に読まれていた吉本隆明の著書の中に中野の名前がしばしば出てくるのを発見したからです。私にとって吉本は独自の文学評論が一番面白く、のちに体系化される言語論には正直ついて行けなかったのですが、その中の、特に「転向」をテーマとした文学評論の中で、「転向」を装いながら、粘り強く軍国主義に抵抗した中野をプロレタレリア文学者の中で最も高く評価した下りに感銘を受けました。それから、私は中野の文業を追い求め、後に当時としてはかなり高価な全集も揃えました。詩や小説も読みましたが、やはり一番面白かったのは評論でした。中でも、昭和初年に当時プロレタリア文学者の間で喧しく議論されていた芸術の文学的価値と左翼思想の喧伝としての政治的価値の問題に割って入り、「芸術に政治的価値なんてものはない」と喝破した評論は大変愉快でした。他に、戦時中に著した「斎藤茂吉ノオト」の中で、当時、評論家・大学教授であった人が、「茂吉の歌は、様々に解釈され得るものが色々あるところが良い」と言ったのに対し、「たわけた事を言うな。歌はあくまで割り切れなければならぬ」と叱責に近い口調で書いているのにも感銘を受けました。爾来、私はこの「割り切れる」という言葉を座右の銘として、文章を書く作業に従事して来ました。
 その中野の故郷に向かう交通手段として、琵琶湖の西岸を北上する当時の国鉄湖西線を利用しました。細かい所は忘れましたが、確かに琵琶湖の全景に近い姿を視界に収めることができました。琵琶湖大橋も見ることが出来ました。その後、湖西線の終点から北陸本線に乗り換えて金沢行きの列車に乗ったと記憶しています。
 中野の故郷では、彼の記念文庫がある丸岡町立図書館に行ったきりですが、そこの学芸員の方にとって貰った私の立ち姿の写真が、訪問の確かな証拠として残されています。
(文中敬称略)


新着順:93/1990

お知らせ · よくある質問(FAQ) · お問合せ窓口 · teacup.レンタル掲示板

© GMO Media, Inc.